平成13年(ワ)第144号・同262号 熊谷組株主代表訴訟事件
原 告  
被 告  熊谷 太一郎 外2名

最終準備書面(2)

───  企業献金は公序に違反する ─── 

2002(平成14)年9月18日
福井地方裁判所
  民事部 合議2係  御 中

            原告訴訟代理人
             弁護士(代表) 松   丸     正

第1 はじめに
  政治資金規制問題については厳格な司法審査が要請される。
  現代政治においては、政治資金の多寡が政党、政治家の政治的影響力を左右する。政治資金の流れを野放しにすると、資金力の大きな政党、政治家に政治権力が集中し、資金力の乏しい政党・政治家との格差が拡大し、それは国民の中における資金力を有する者とそうでない者との政治的影響力の格差と直結する。ひいては政治資金を求めての政治腐敗も発生しやすい。いずれの民主主義国家でもなんらかの政治資金の規制が行われている所以である。
  ここで注意しなければならないのは、政治資金の規制を行う法律を制定するのが政治資金の受け手である政党・政治家であるという点である。選挙制度と同様、政治資金問題についての当事者である政党・政治家は政治資金規制立法を行うに当たって、自らに有利なように行動しがちである。国会が、他の機関からの監視を受けることなく、政治資金の規制を行うならば、既成政党、大政党に有利な政治資金のあり方が立法化される危険性が高い。
  そこで期待されるのが、裁判所による司法審査による議会の監視機能である。民主主義国家における司法の役割が、「民主主義プロセスの保障」(松井茂記『日本国憲法』95頁)、「立憲民主主義過程の維持保全」(佐藤幸治『憲法[第3版]』337頁)にあるとする見方は学説上一般に共有されるものとなっている。政治資金規制が、政党・政治家の政治的影響力を左右する民主主義のありように直結する制度であることに鑑みれば、裁判所は政治資金規制制度に関わる問題を判断するに当たっては、その制度が民主主義過程を歪めるものとなっていないかどうかを厳格に審査すべきである。
  この点を、企業・団体献金の規制について述べると、企業・団体献金の受益者である政党や国会議員が、企業・団体献金の規制に動き出すことはまず考えられない。したがって国会が企業・団体献金を規制していないことは、国会議員の多くがいかに企業・団体献金の恩恵を受けているかの証左であ。このことは、企業・団体献金が社会的に有用な行為であることの根拠にはならないというべきである。企業・団体献金のあり方をどう定めるかは政治資金規制の重要な要素であって、先に述べた、民主主義のプロセスを監視すべき裁判所の役割からすれば、裁判所は、企業・団体献金が禁止されていないことから生ずる弊害を厳格に審査しなければならない。したがって、現行政治資金規正法が、企業・団体による政治献金を禁止していないことをもって、個々の企業・団体献金がなんの問題もないかのように扱うことは、民主主義過程における裁判所による司法審査の機能を没却するものである。
  会社・団体による政治献金も、そのもたらす弊害はまさに政治的過程そのものを傷つける。だが、会社・団体による献金の弊害が多く語られながら、なお政治家の多くが会社・団体による献金を望んでいる実態がある。したがって、その是正を政治家の集団である立法府に期待することはできない。
  平成6年法律第4号による政治資金規正法改正に際して設けられた、「この法律の施行後5年を経過した場合においては、……会社、労働組合その他の団体の政党及び政治資金団体に対してする寄附のあり方について見直しを行う」旨の規定(附則10条)があったにもかかわらず、、現在に至るまで、団体による政治献金を禁止する法改正は行われていない。
  しかし、これは、企業・団体献金の受益者である国会議員の多くがみずからの政治資金源を制限するような行動に出ることを期待できないことを示すものではあっても、政治献金の社会的意義を証明するものではない。
  政治資金規正法が会社の政治献金を明文で禁止していないことをもって、会社による政治献金が合法とされるのであれば、政治資金規正法上明文で禁止されていない税理士会による政党・政治家への政治献金も合法となるはずである。しかし、後にも詳しく述べるように、南九州税理士会事件において、最高裁は税理士会による政党・政治家への政治献金を違法と判示している(最高裁第3小法廷平成8年3月19日判決民集50巻3号615頁)。したがって、本件政治献金について「政治資金規正法上の届出をした政治資金団体に対して、同法の制限内でなされたもの」であれば、なんらの違法性も生じないかのような被告の主張は上記最高裁判決とも矛盾するものである。

第2 国民の参政権への侵害(法人による政治献金は国民の参政権を侵害する)
1.法人が政治献金を行う自由を有するとはいえない。
(1)今日、団体・法人一般に人権享有主体性を認めた八幡製鉄政治献金事件最高裁判決は厳しく批判されており、団体・法人の人権享有主体性を否定する見解も有力になっている(樋口陽一『憲法』174頁[創文社 1992年]、浦部法穂『全訂 憲法学教室』62頁[日本評論社 2000年])。団体・法人の人権享有主体性を承認する学説においても、それを無限定に認める見解はなく、通説的見解によっても「法人の人権行使が自然人の人権を不当に制限するものであってはならないという基本的限界が存する」と解されている(佐藤幸治『憲法[第3版]』427頁(1995年 青林書院)。
   とりわけ政治的的行為の自由については、「国民主権」原理と密接に関わる基本的人権であり、団体・法人が自然人と同様に、それを行使できると解することはできず、「一般国民の政治的自由を不当に制限する効果をともなったり、法人内部の構成員の政治的自由と矛盾・衝突したりする場合」には、自然人と異なる特別の規制に服する」と解されている(芦部信喜『憲法 [新版補訂版]』88頁[岩波書店 1999年])。
   さらに、南九州税理士会事件最高裁判決の述べるように、特定の政党・政治家に献金するという行為は、「選挙における投票の自由と表裏をなすものとして、…市民としての個人的な政治的思想、見解、判断に基づいて自主的に決定すべき事柄」であって、政治的行為を行うことを目的としない会社などの団体がそもそもなしうることなのか大いに疑問のあるところである。

(2)仮に「法人が政治的行為を行う自由」を享有するからといって、そのことからストレートに法人(以下、本件に即して「会社」という)が政治献金を行う自由をも有すると言えるのかも問題である。結論を先に言えば、「会社が政治的行為を行う自由」には政治献金を行う自由は含まれていないのである。
  会社がある法律案に賛成または反対の意見を表明したり、あるいは一定の政策を提唱するなど政治的意見を表明することは、言論、表現の自由の一環として肯定されるであろう。しかし、政治献金を行うことは表現の自由の行使とは質的に異なるものである。

(3)自然人の場合は、政治献金をするとしても、それには自ら額において限度がある。しかし企業は、自然人の有する資産の何千、何万倍の経済力を有している。ちなみに、熊谷組がこの4年間に自民党に寄附した金額は6億4500万円に達している(最終準備書面(1)4頁)。
   更に、大手ゼネコン業界が、わずか60社余りで自民党に6年間で31億円余も献金しているのである。自然人が1人で20年余で6億円を献金するだけの人はいないし、また自然人が60人余集まって、6年間で30億円カネを献金することは全く不可能である。自然人と企業またはその業界の有する経済力の差を直視しないで、企業の表現の自由である意思の表明と企業・業界の政治献金の自由とを同列で論じることは正しくはない。
   企業または業界が「金」で自己の意見を支配しようとすれば出来るからである。よって、企業に政治活動の自由があっても、政治献金の自由まであると論じることは正しくない。

2.株式会社の政治献金を認めるかどうかは立法裁量の問題であるとして司法は逃ことは許されない。
 「政治献金をなす自由」は政治資金規正法によって一応は認められているとしても、そのありかたは厳格に審査されなければならない。すなわち、会社の「政治献金をなす自由」は、自然人の憲法上の権利を制約するものであってはならないことはもちろん、国民主権原理などの憲法の定める諸原則に反しない限りで認められるにすぎない。また前記のとおり、その行使の仕方が自然人の献金能力と著しく格差がある時は尚更である。会社の「政治献金をなす自由」を有していても、その範囲は行使についてまで立法機関の裁量に全面的に委ねられたとすることは司法の審査権の放棄となる。法律により認められた「政治献金の自由」により自然人の憲法上の権利の侵害が構造的に生ずる場合や、会社による「政治献金の自由」の行使が明らかに憲法の定める国民主権原理などの憲法上の原則に反する事態を生ずる場合には、仮に法律上認められた範囲内の「自由」であったとしても、その行使が許されなくなる場合があるからである。

3.会社による政治献金は、国民の参政権を侵害するものであり、かつ、それ自体反公序的なものである。
(1)政治献金と国民の参政権との関係を見るに当たっては、いうまでもなく選挙権は憲法上の権利であり「国民固有の権利」(憲法15条1項)として国民の最も重要な基本的権利であること、選挙権は各選挙人にとってその価値が平等でなければならないこと、及び政治献金という行為自体の性質を考慮しなければならない。

(2)選挙権は、市民革命後の多くの近代憲法において保障され、民主主義の発展とともにその内容が拡充されてきたものであり、日本国憲法も民主主義を人類普遍の原理とし、国民主権にとって選挙権は国民の基本的権利として不可欠なものと位置づけ、憲法15条1項はこの観点から、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定めている。
   また、最高裁判例においても、選挙権は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすものと位置づけられ、憲法14条1項が定める法の下の平等は、選挙に関し、国民はすべての政治価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向し、選挙権の平等は、選挙権の内容の平等、換言すれば、各選挙人の投票の価値、すなわち各投票が選挙に及ぼす影響力においても平等であることが、憲法上の要求であることを明確に示している(衆議院定数不均衡に関する最大判昭和51年4月14日民集30卷3号223頁)。

(3)このような選挙権における「徹底した平等化」の要求は、その当然の帰結として、選挙結果に至るプロセス全体を通じて各選挙人の投票が選挙結果に対して同じ影響力を及ぼす法的可能性の保障を要求することになる。
   このように、政治への発言力、影響力は平等であるべきであって、この点から見て、個人の献金能力をはるかに凌駕する会社の政治献金は、この平等を害することは明らかというべきである(中島茂樹「憲法問題としての政治献金」立命館法学271・272号下巻1288頁)。
   また、会社が政治献金により国や自治体の政策決定に影響を与え、一定の政治的意思を強固に形成せしめた後には、国民の投票が自由になされても、数年間隔でしか行われない選挙を通じてすでに形成された、選挙民の意思に反する政治意思を覆すことは事実上極めて困難である(三枝一雄ほか明治大学政治資金研究会「政治資金と法制度」日本評論社1998年282頁)。

(4)さらに、南九州税理士会事件最高裁平成8年3月19日判決民集50卷3号615頁は、同事件の実質的な争点が税理士会による政治献金目的の特別会費の徴収が会員の思想信条の自由を害しないかにあったが、税理士会の「目的の範囲」を論じつつも、政治献金の性質について、「政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、・・・市民としての個人的な政治思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるいうべきである。なぜなら、政党など規正法上の政治団体は、政治上の主義もしくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定されている政治団体であり・・・、これら団体に金員の寄付をすることは、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかに密接につながる問題だからである」と判示していることに注目すべきである。
   すなわち、同最判は、政治献金を行うという行為は、市民の選挙における投票の自由と表裏一体を成すものであり、市民の選挙権行使と密接なつながりをもつ性質のものであること、換言すれば、政治献金は、自己の支持又は意図する政策等の実現を企図して行う行為であることを明言しているのである。

(5)加えて、選挙権は憲法上の権利であり、それは、いうまでもなく基本的人権の一種である。そして「人権」の機能は、歴史的・沿革的には「公権力」から市民の権利・自由を守ることに主眼があったが、今日・現代社会における人権の機能は、公権力からだけではなく、「社会的権力」による侵害から市民の人権を保障することにある。ここに、人権とりわけ民主主義の根幹をなす選挙権の憲法的保障の重要かつ現代的意義がある。
  いうまでもなく、会社は選挙権を持ち得ず、市民個人は選挙権を享有する。ところが、巨大企業と選挙権を持つ市民個人との間の資力・献金能力には前記で述べたように格段の差がある。
   熊谷組は前記のとおり巨額の献金をしているが、原告らを含む市民・個人一般にこのような献金能力を持っている者はおそらくいない。

(6)「政治には金がかかる」のが現実である。政党、政治団体、政治家が膨大な数の有権者を相手に政治活動をするためには、選挙活動をはじめ、政策の調査立案など多種多様の活動を常時行わなければならならず、それには多額の資金が必要であり、このため、政党、政治団体、政治家は常に政治献金を集めることにに腐心せざるを得ないが、そこに、とかく献金者と政治との癒着が生じがちである。80年代に起きたロッキード疑獄事件を契機として「政治倫理綱領」が制定されたが、それにもかかわらず、90年代に入っても、リクルート事件にはじまり、佐川急便事件、金丸巨額脱税事件など、献金者と政治の癒着を象徴する疑獄・政治汚職事件が続発している。
   前記のとおり、政治献金は、選挙権の行使と密接なつながりをもち、献金者が自己の政治的意見や支持する政策等の実現を企図して行うものである。 したがって、このことは、献金者による献金額の多寡が政治の方向や政策決定に影響を与えるものであることを意味する。西洋の諺にあるとおり「笛吹に金を与える者が曲目を決定する」のである(三枝ほか前掲書285頁)。上記汚職事件続発の事実はこれを如実に示して余りあるものといわなければならない。       
(7)政治献金は献金者が自己の政治信条や政治的意図を実現するために行われる性質のものであり、そして、政治には金がかかることが現実であるから、自ずから献金額の多寡が政策形成等政治の動きに影響を与えることになるが、会社とりわけ大企業と個人との間には献金能力に大きな差があり、企業による政治献金は上記平等性の要求に反する結果をもたらす。これは、選挙権という人権が企業という社会的勢力によって侵害されていることにほかならない。そして、選挙権は民主主義の根幹をなす極めて重要な権利であるから、その侵害はまさに著しく公序に反するものである。「会社が政治献金を行ったとしても、国民は自由に判断して選挙権、被選挙権等の参政権を行使することができるから、事柄の性質上、会社が政治献金を行うことが国民による参政権の自由な行使を不当に制約するなどして、これを直接的に侵害するものではない。」との考え方は、上記諸点をことさら看過するものである。即ち金で、しかも巨額の金で選挙権をしようとしているのと同視できるからである。
 まして、個々の企業が業界として献金をし続けると、個人の献金能力を遙かに凌ぐものである。大手ゼネコンが60社余り集まれば、年間4〜6億円の献金を行っている。この巨額な献金を受けた政党の政策形成等、政治の動きに重大な影響を与えることは自明である。

第3 本件政治献金は、国民主権との関連性との関係で考慮すべきである。
1.法人の政治献金は国民主権の原理に抵触する。
(1)「国民主権」原理に、国民が国の政治のあり方を最終的に決定する力をもつとする原理が含まれることには異論がない。また、日本国憲法が国の統治のあり方の根本原則として「国民主権」原理を採用していることは、憲法前文、同1条から明らかである。一方、日本国憲法は「国民主権」のあり方として、国民が「代表を通じて行動する」と定め、いわゆる代表民主制をとることも明らかにしている。代表民主制において、国民が国の政治のあり方を最終的に決定するという「国民主権」原理を実質的に実現するために最も重要なことは、国民がその代表者を選ぶ選挙過程において、国民の間の自由かつ十分な討論がなされたうえで、一人ひとりの国民の意思が平等に反映されることである。国会議員の議員定数の不均衡は、まさに一人ひとりの国民が自らの代表を選出するにあたっての影響力が選挙区によって著しい格差があるという問題であり、国民による代表選出過程を歪めるものとして「国民主権」原理に反するものであった。
   もっとも、一人ひとりの国民の意思を平等に代表選出過程に反映させるためには、投票の価値を平等にするだけでは十分でない。国民主権原理が、国民の間の自由かつ十分な討論とそのうえで行われる自由かつ平等な選挙によって担保されるものであるとすれば、選挙に先立つ国民の間の討論の過程においても一人ひとりの国民の意思ができるだけ平等に反映されなければならないことも当然である。

(2)政党・政治家に対する政治献金は、国民一人ひとりの政治的意見表明と密接に結びつく行為であり、政治献金の多寡は、本来、国民による政党・政治家への支持の多寡のバロメーターとなるべきものである。
   ところが、会社または業界による政治献金は、参政権を有しない会社という組織・業界が、経済活動を円滑かつ効率的に行うために認められた制度を利用して集めた資金力を用いて、国民の間の討論過程に影響力を行使しようとするものである。会社による政治献金は、国民主権の主体でない会社という組織がその圧倒的な資金力により、国民の政治的支持のありようとはかけ離れた資金力の差を政党・政治家の間に持ち込むことになる。これは、会社・業界が国民の間の政治的討論過程に不当に介入するものであり、明らかに「国民主権」原理に矛盾するものである。
   裁判所は、少なくとも個々の会社・業界による政治献金が「国民主権」原理を踏みにじるような事態をまねいていないかどうか厳格に審査する必要がある。この点を看過して、安易に相互会社の政治献金の合法性を導き出すことは司法権の放棄に等しい。

(3)他方、政治資金規正法が会社に政治献金を許容する立法目的はきわめて薄弱である。八幡製鉄政治献金事件最高裁判決は、「議会制民主主義を支える不可欠の要素」としての政党の「健全な発展に協力すること」を、会社の政治献金の効用として挙げた。しかし、前記で論じたように、本来、参政権を有しない会社が政治献金により国民間の政治的討論過程に介入することは国民主権原理に反するものであり、会社の政治献金により政党の活動を支えること自体、憲法上許されないものである。百歩譲って八幡製鉄政治献金事件判決当時、「政党の健全な発展」のために会社の政治献金が必要であったとしても、1995年以降、「政党助成法」に基づいて、政党の活動資金は国庫から支出されているのであって、現在において、会社の政治献金を容認する必要性はなくなったというべきである。
   したがって、政治資金規正法が会社の政治献金を許容していることは、きわめて薄弱な根拠のもとに、会社の政治献金を許容する必要性と、民主主義にとってきわめて重要な自然人の討論、提案によって決定されるという国民主権の原理が会社の政治献金によって構造的に侵害されることを考慮するならば、当該政治資金規正法の規定そのものの合理性もきわめて疑わしいといわなければならない。少なくとも裁判所は、政治資金規正法の規定に則ってなされた政治献金であっても、その現実の行使が国民主権の原理からみて厳格に審査する必要がある。

2.本件政治献金は、ゼネコン業界にとって有利な政策を決定させ、または不利な決定をさせない為の見返りを期待しての献金であり、国民主権原理を侵害する。
(1)企業の経済的・社会的に巨大な企業によりなされる政治献金は、選挙権を有し、国政決定の主体である一人一人の国民では到底出捐することのできない巨額なものである。
  国民の選挙権につき最高裁昭和51年4月14日衆議院議員定数是正事件判決(民集30巻3号223頁)は、
   イ.選挙権は、国民の国政への参加の機会を保障する権利として議会制民主主義の根幹をなす。
   ロ.選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向する。
   ハ.各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところである。
としている。
   この最高裁判決の述べている「徹底した平等化」とは、選挙結果そのもののみならず、選挙結果に至る選挙のプロセス全体を通じて個々の選挙人たる国民が選挙結果に対し同じ影響力を及ぼすことのできる平等な法的可能性と解することができよう。
  企業による巨額の政治献金は、個人の浄財である個人献金の額を桁違いに凌駕し、その献金を受けた政党(その政治資金団体)の経済的基盤を強固にさせる。それによって政党の選挙運動を有利に展開し、得票率を国民の総意以上に上昇させる結果をもたらすことは、政治の世界においては公知の事実と言えよう。逆に企業の政治献金に依存しない政党を相対的に経済的劣位に置くことになる。
  選挙のプロセス全体を通じた、選挙人たる個々の国民の政治的価値の「徹底した平等化」にとって企業・団体の政治献金は大きな阻害物となっている。
  本件政治献金は特定の政党(自民党)に対する献金であり、その主義・主張を支持し、その政治活動・選挙活動を支援するためになされたものである。政党政治を発展させるという一般的・公益的価値を有するものではないことは明らかである。

(2)更に、巨額の献金によって、献金を受けた政党に、当該企業あるいは当該業界にとって有利な政策誘導をさせる機能を有することも否定できない。昭電疑獄事件、造船疑獄事件、ロッキード事件、また近年のリクルート事件、共和事件、佐川急便事件、金丸巨額脱税事件、ゼネコン汚職事件、KSD事件など、企業・団体献金が利権・利益誘導と結びつくことによって、政治腐敗や汚職の原因となってきたことは明らかである。仮にそこまでに至らずとも、企業・団体の献金は少なくも、当該企業あるいは当該業界の業務に有利な政策決定させるか又はその支障が生ずるような政策決定を未然に予防させるという機能を有し、またそれを期待してなされていることは明らかと言える。
 このような自己の会社または業界に有利な政策決定をさせ、または見返りを期待しての献金は、自然人の投票と討論によって政策を決定するという民主主義、国民主権の原理に反するものである。

                                               以 上