平成15年(ネ)第63号 熊谷組株主代表訴訟控訴事件

第一審原告 

第一審被告  熊谷太一郎 外2名

 

準 備 書 面 (2)

第1審被告の控訴理由書に対する反論−

 

2003(平成15)年9月30日

名古屋高等裁判所金沢支部

    民事第1部A係  御              

 

               第一審原告訴訟代理人

                 弁護士(代表) 松   丸     正

                                                                     

 

第1 最高裁・八幡製鉄政治献金事件判決はもはや存在意義をもたない

  1 企業献金の「悪」の今日的状況と八幡製鉄事件判決

 1970年(昭和45年)6月24日の八幡製鉄政治献金事件最高裁大法廷判決は、以来今日に至るまで、企業の政治献金を適法・正当化する論拠とされてきた。しかし、この最高裁判決は、いわゆる「お助け判決」であり、企業献金奨励判決だと言われ、学会を始めとして多くの批判を受けて来たものである。

 その一つに武藤春光帝京大教授は、その論文「会社は政治献金に関する権利能力を有するか」(商事法務1343)において、冒頭、次のように論じられている。

「一部の会社による政治家または政党に対する政治献金は、多年にわたり広範囲かつ多額に行われ、それに関連して過去においてロッキード事件を始めとする数々の汚職事件が発生し、最近も、金丸事件やそれに続く大規模なゼネコン汚職が摘発されている。そして、今、世論は企業の行う政治献金は社会的かつ道徳的に悪であるとし、その廃止を求めている。・・・

 この点に関しては、有名な八幡製鉄政治献金事件があり、一審の東京地裁判決は会社の政治献金に関する権利能力を否定したが、最高裁大法廷判決(以下「最大判」という)はこれを肯定したため、この判決によって政治献金は適法といういわば御墨付きを得たとされている。しかし、右の最高裁判決のとる理論は検討の余地がないものであろうか。最近、元最高裁長官の岡原昌男氏が、衆議院の政治改革特別委員会において、参考人として出席し、企業献金には適法性がなく、八幡製鉄事件の判決は『助けた判決』であるという趣旨の率直な発言をされて論議を呼んでいる。・・・

 そして、最近の社会情勢に照らすと、政治献金奨励判決との非難さえ受けたこの最大判は存在の意義を失っているのではなかろうか。」

   同教授は自らも記されているとおり、かつては裁判官の職にあって、合議体の一員としてこの八幡製鉄政治献金事件の東京地裁第一審判決に携わられたのであるが、勿論、右論文は「会社法専攻の研究者の一人として」その見解を論述されたものである。

      同教授の見解の前提には、最高裁が政党への企業献金が個々の国民の参政権を侵害することを否定するくだりで「政党の資金の一部が選挙人の買収にあてられることがあるにしても、それはたまたま生ずる病理的現象に過ぎず」等との現実離れした現状認識を示していること、あるいは、当時はそのような認識が適切であっても今ではそのような認識は適切ではないという理解があったのではなかろうか。

 ところで同教授が、最高裁八幡製鉄政治献金事件判決について、「最近の社会情勢に照らすと・・・この最大判は存在意義を失っているのではなかろうか。」と論じられたのはすでに今から9年も前の1994年1月のことであった。

 その当時でさえ、右のように論じられたのだが、その当時に比べて今日のわが国の政治状況はどうであろうか。政治腐敗の根絶のために行なわれた94年の「政治改革」では、企業献金が禁止されず温存されたため、「政治改革」後も、政治腐敗、金権スキャンダルは、発覚しているものだけでも多数存在する。95年には東京の二信組不正融資事件で自民党の山口敏夫・元労働大臣が逮捕され、96年には同年の衆議院議員総選挙で落選した新進党の楠田幹人が政党交付金を買収に使用したとして逮捕され、97年にはオレンジ共済を巡る巨額詐欺事件で新進党の友部達夫・参議院議員が逮捕され、98年には政党交付金流用事件などで自民党の中島洋次郎・衆議院議員が逮捕され(公判中に自殺)、総会屋への利益供与に端を発した証券・金融スキャンダルで逮捕直前の新井将敬・衆議院議員が自殺し、2000年には自民党の中尾栄一・元衆議院議員がゼネコンからの賄賂で逮捕され、民主党の山本譲司・衆議院議員が秘書給与の詐取で逮捕され、2001年にはKSD事件で自民党の村上正邦・参議院議員と小山孝雄・参議院議員が逮捕され、2002年には自民党の鈴木宗男・衆議院議員が斡旋収賄で逮捕され、自民党の田中真紀子・衆議院議員と社民党の辻元清美・衆議院議員が秘書給与流用で議員辞職し、井上裕・参議院議長が秘書の公共工事口利きで議員辞職し、自民党の加藤紘一・衆議院議員が秘書の公共事業口利きで議員辞職し、今年・2003年には自民党の坂井隆徳・衆議院議員が人材派遣業者からのヤミ献金で逮捕された。

  これらの中には政治献金に関するものが多数含まれており、企業政治献金の社会悪とそれによる政治の汚濁はさらに一段と深刻となっていると言っても過言ではない。そのため憲法の正しい理念の実現とわが国民主政治の清潔な正しい発展を真摯に希求する国民の立場から今日のわが国政治状況をみれば、最高裁八幡製鉄政治献金事件判決は、いよいよその存在意義を失い・・・いや、存在意義をなくしたどころか、速やかに変更されなければ、その存在自体が法の規範どころか、反憲法的社会「悪」の擁護媒体となっているとさえ言わねばならないのではなかろうか。それはもはやおよそ司法の名に値しない。

 2 企業献金問題の解決を遅らせる「お助け判決」

   1993年(平成5年)11月2日、鹿島建設・大林組など大手ゼネコン汚職が相次いで発覚するもとで、政治腐敗に対する国民の怒りが広がり、またしても国会で企業の政治献金が大きな政治問題となるなか、衆議院の「政治改革に関する調査特別委員会」は注目すべき重要な審議を行った。

 そのなかで、三権の長である最高裁判所長官を務めた岡原昌男氏が参考人として、国会のこの委員会に出席し、最高裁八幡製鉄政治献金事件判決について、重大な衝撃的意見を表明したのである。

 その議事録によると、岡原元最高裁長官は委員からの

「企業団体献金を全面禁止する以外に政治腐敗は結局防ぐことができないわけで、参考人の方も先ほど八幡製鉄の判決に関連して、政治献金は本来個人から個人へというお話でありますが、この企業・団体献金の禁止ということについてはどういうふうなお考えでしょうか。」

という問に答えて、次のとおり述べられたのである。

できればそういう方向に行きたいと思います。ただ、あの判決をよく読んでいただきますとわかると思いますが、これだけ企業献金がその当時、あれは昭和35年の事件でございます、行き渡っておったのでは最高裁がやれるわけがないです。違憲であるとか違反であるというふうなことに。全部の候補者がひっかかるような、そういうことは実際上としてやれない。したがって、あれは助けた判決、俗に我々、助けた判決というものでございます。

 元最高裁長官が、国権の最高機関である国会においてこのように、最高裁大法廷判決が憲法と法の正義の実現として本来あるべき規範的意義をもつどころか、ある意味では司法の怯懦とも言われかねない政治的配慮による現実追随の「お助け判決」であると表明したことの深刻な重大さは計り知れない。

 武藤教授が、前掲論文の「おわり」で、

 「会社のなす政治献金には種々の問題があり、多くの論者によって様々な角度から論じられている。たとえば、政治には金がかかり、その大部分を賄えるのは会社であるという説も、会社の政治献金こそ汚職の源であるという説も、それぞれ現実の一面を鋭く突いている。

 しかし、法律家としては、政治的見地を離れて専ら法律的見地から、それも純粋に会社法上の問題として会社の政治献金に関する権利能力の有無を検討するべきである。・・・

 目前の政治的ないし行政的配慮の下に、『助けた判決』をするならば、それこそ司法の範囲を越える出過ぎた行為であり、むしろ問題の真の解決を遅らせることになる、といわなければならないであろう。

と、厳しく指摘されている点は、繰り返される政治汚職事件の今日的状況と真剣に対面する司法のあるべき任務と責任に照らして、まさに正論であると言うべきではなかろうか。

 このように、企業献金が広く行き渡っている現実の下では「実際上、最高裁がこれを違憲・違法と言えるわけはない」ということは、正義を貫くべき司法の社会悪への妥協であり、最高裁が「憲法の番人」たる自らの責務にもとるものと言わねばならない。

 ところで、この判決で誰が助けられたのかは言うまでもなく明白である。この判決があることに依拠して、企業献金による金権政治の土壌は今日に至るまで温存し続けられ、わが国民主政治の清潔で正しい発展が阻害されているのである。

 3 ますます高まる企業の政治献金全面禁止の必要性

 先に述べたように、最近の国会をめぐる「政治とカネ」の問題・民主政治の危機的状況を前にして、あらためて企業・団体の政治献金の全面禁止がわが国政治の改革の焦点となり、一層大きな国民世論となったのは当然である。

 この国民の声を背景に東京新聞の社説も「企業献金・腐敗断ち切る改革を」と題し、企業献金そのものの全面禁止が必要であると強調している(2002年3月23日)。

 さらに、最近の論文では、北九州市立大学の上脇博之教授は、「政治とカネの関係はどうあるべきか」と題する論文の中で「企業・団体献金の禁止こそが必要である」として次のように論じられている。

 「鈴木宗男氏、加藤紘一氏、鹿野道彦氏、辻本清美氏など、国会議員とカネにかかわる事件が相次ぎました。中でも鈴木氏、加藤氏の場合は、本質的には、企業・団体献金に関わる問題です。

 加藤氏や鈴木氏の疑惑から導き出されるのは、本当に政治改革としてやるべき課題が企業・団体献金の全面禁止である、ということです。もともと法律論・憲法論から言えば、本来許されないものであり、許されないものがこれまで許されてきたという問題です。つまり、原理・原則に返るということです。

 ではなぜ企業・団体献金、とりわけ企業団体が問題なのか。企業献金こそが、政治腐敗の温床であり、国民主権を実質的に『企業主権』にしているからです。出す企業は、ほかの慈善団体に寄付することと同じだと弁明します。しかし、企業は営利を目的としていますから、政治にカネを出すと見返りを期待するのは当たり前です。経営者は個人でも寄付ができるにもかかわらず、株主から集めたカネや労働者がつくりだした儲けを企業の都合で寄付をするというということは、経営者に2つ目の寄付を許すことになります。これではまるで、寄付における1人2票制であり、経営者の特権になっています。

 しかも、特定の政党のためにおカネを使うことは、企業の建前からしても、個人の人権という面から考えても、おかしい。経済活動のために株主になった人は、必ずしも企業の政治活動への意思があるとは限りません。たとえ、その様な意思があったとしても、企業と同じ献金先に寄付する意思があるとは限らないから、企業献金は結果的に株主を政治的活動、それも党派的活動に財政上『動員』することになり、明らかに、一様でない株主の政治的活動の自由、ひいては国民の多元的活動の自由を侵害してしまいます。

 これらの弊害があるからこそ、1994年の「政治改革」では、その是非が問われ、その禁止が目指されたのです。国民の多くはこれを『国会公約』と受け止めたのではないでしょうか。

 ところが、その規定に反して、5年たっても企業・団体献金の全面的な見直しはされず、いまだに違法状態が続いています。政党支部への企業・団体献金をこれまでどおり許したため、政治家が支部長になることで、政治家個人あるいは資金管理団体へのそれは事実上禁止されないという事態も生じています。つまり企業・団体献金の温存と政党助成の新設により「政治資金の二重取り」が平然とおこなわれているのです。

 一方で、リストラ、失業がこれだけ増えているのに企業は献金し続けている。経営者と保守政党の責任は重大です。しかも税金の還流が問われているのですから、自民党議員の事件、疑惑に国民が厳しいのは当たり前です。本当の政治改革をやり遂げないと民主主義が衰退してしまいます。

 だからこそ、究極的には企業・団体献金の全面禁止を目指すべきです。

   最近の国会の状況は、裁判所にもこのことを厳しく問うものとなったのである。

 ここでもう一度、1907年のテイルマン法以来、民主政治の主権者たる国民の政治参加の自由を損ないゆがめるものとして、企業献金を一貫して禁止しているアメリカで、その社会的正義の道を拓く根源となった1907年のパーキンソン対モス事件の判決が次のように判示していることを想起すべきである。

 「企業の政治献金は、たとえ制定法になんらこれを禁止する規定がない場合でも、それは全く是認し難い違法な行為であるという、この事件の基本原則について全員の意見が一致する

 今こそ、「お助け判決」と言われて久しい八幡製鉄政治献金事件判決を裁判所がこの際きっぱりと破棄変更することこそが、今求められている憲法の正しい解釈、正しい理念と条理を生かす道である。

 4  経団連の企業献金あっせんの再開

 最近注目すべきことは日本経済団体連合会(以下、経団連)による企業献金あっせん再開の動きである。

 これを見ても、政治の浄化とわが国の民主政治の正しい発展のためには、企業献金の禁止がいよいよ必要となっていることが判る。

 経団連が企業献金のあっせんを中止したのは、自民党が金権政治の厳しい批判を受けて選挙で敗れて下野し、細川連立内閣が成立した1993年のことであった。それは自民党一党支配を軸にしたいわゆる「55年体制」の崩壊に直面してのことであった。

 あっせんの取りやめの理由は、このように自民党が政権を失い、政治献金の直接的メリットが無くなったことにあるのだが、経団連は中止の理由を次のように説明している。

「自民党が政権の座を下りたことや、企業献金への批判等を考慮し、9月2日の会長・副会長会議において、企業献金に過度に依存しない仕組み作りへ向けて、斡旋のとりやめを決定」(経団連の『五十年史』)

 その1993年には経団連でさえ国民の厳しい金権政治批判の声を受けて「企業献金に関する考え方」の中で次のような見解を述べていた。

「@ 今後は、政治資金を公的助成と個人献金で賄い、企業献金に過度に依存しない仕組みを確立していく必要があり、政府は、そのための環境整備を早急に行うべきである。

  A 企業献金については、公的助成や個人献金の定着を促進しつつ、一定期間の後、廃止を含めて見直すべきである。

  B その間は、各企業・団体が、独自の判断で献金を行うこととし、経団連は、来年以降、その斡旋は行わない。なお、1993年度分については規定方針どおり処理する。」

 実際には、経団連はあっせんはしないが、各企業が政治献金を続けていたことは言うまでもない。

 控訴人熊谷組は、自民党への政治献金の必要性・合理性を一貫して強く主張して顧みないが、経団連がかってはこのように「企業献金に依存しない仕組みを確立する」「企業献金は廃止を含めて見直す」と公言していたことをどう認識しているのであろうか。

 ところで、奥田会長が本年1月の「活力と魅力あふれる日本をめざして」(いわゆる奥田ビジョン)に続いて、5月に「政策本位の政治に向けた企業・団体の寄附の促進について」を発表し、経団連による政治献金のあっせん再開を明らかにしたその内容は、単なる企業献金のあっせん再開以上の重大な反社会的問題をもっている。

 そこには、カネで企業・財界のための政治をすすめるという、あっせんどころか露骨な「政治買収」の意図が明白なのである。

 すなわち、経団連は奥田ビジョンにそって毎年政党を評価し、その政党が財界の要望と政策の実現にどれくらい努力しているかどうかの「成績」によって献金を決めようというのである。

 このことを奥田ビジョンは次のように明確に述べている。

 「与野党の政策と実績を評価した上で、企業・団体が資金協力する際の参考となるガイドラインを作成する。企業人の中から選ばれ、国政で活躍するにふさわしい人材を支援するほか、経済界の考えに共鳴し行動する政治家を支援する」

 これはまさに企業の政治献金なるものが、その名目もその実体も賄賂にほかならないことを明白に示したものというほかはない。

 森岡孝二関西大教授が、このように政党の政策や実績を評価し、財界・企業のために役立ち有用であるかどうかを評価し、それに基づいて献金を決める経団連方式は「露骨に見返りを期待した政治買収です。『これはワイロです』と宣伝しているようなものです」と語っているとおりである。

   かくして、今こそ、わが国の正しい清潔な民主政治の発展のために、企業・団体献金の禁止は焦眉の課題となっているのである。

   そのためにも、最高裁八幡製鉄政治献金事件判決は速やかに変更されるべきなのである。

 

第2 政党への政治資金の寄附はもはや「公的性格」を有しない

  1 特定の政党への献金は「公的性格」を有しない

    控訴人は、控訴理由書の中で「政治資金の寄附は、慈善事業、福祉、教育等などの社会貢献活動と同様の公的性格を有する」と主張している。その理由は、政党が世論の形成、政府の組織、公約の実行といった形で、公共の利益に奉仕するものであり、政治資金の寄附は、「政党の公の目的のための政治活動を助成するもの」ということのようである。

 しかし、これは著しく現実と乖離した政治資金の寄附についての見方を前提とした見解といわざるをえない。国会には複数の政党が存在し、それぞれの綱領、政策をもち、国民の支持を得るために競い合っている。国民がそれぞれの政党を支持するのは、その政党が自らの利益をもっともよく実現してくれると期待するからである。そこで個々の政党が体現しているのはあくまでも支持者の利益である。控訴人も自らその控訴理由書で縷々述べているように、自由民主党が建設業界の利益をもっともよく実現すると判断したからこそ多額の政治資金を寄附したのである。「政党が公共の利益に奉仕する」とは、複数の政党がそれぞれ国民の支持を求めて政策論争をすることにより、民主主義社会における公論が形成されることを指すのであって、自由民主党という特定の政党の活動が「公共の利益に奉仕」しているわけではない。

 仮に政党政治による公論形成という公共の利益のために政治資金の寄附をするのであれば、自由民主党という特定の政党ではなく、すべての政党の活動資金に対して寄附しなければならないことになる。「公共の利益の追求」を標榜しながら、自由民主党という特定の政党のみに政治資金の寄附をするというのは矛盾した主張といわざるをえない。

 以上の点は、政党への政治資金の寄附と、控訴理由書が挙げる「慈善事業、福祉、教育等の社会貢献活動(以下、慈善事業等という)」を比較することによってさらに明らかとなる。「慈善事業等」については、それを推進することによる弊害は基本的に存在せず、万人に異論がなく承認されるものである。しかし、政党への政治資金の寄附は、そもそも政党の政策の支持という思想・信条に密接にかかわる行為であり、特定政党への寄附は反対党支持者からの反対が当然予想されることに加え、国民主権原理に基づく政治をゆがめ、国民の政治的影響力を著しく低下させ、政治腐敗の温床となるなどの重大な弊害を伴うものである。したがって、政党への政治資金の寄附と「慈善事業等」を同列に論ずることは誤りである。

 2 会社の政治献金に「公的性格」を認める見解は最高裁判決とも矛盾する

 本件と重要な関連をもちながら控訴人が参照を避けている最高裁判決がある。それは、南九州税理士会政治献金事件判決(最判平成8年3月19日民集50巻3号615頁)である。南九州税理士会事件は、もちろん強制加入団体である税理士会による政治資金の寄附が問題となった事件ではあるが、政党と政治資金の寄附の性格についての判示内容は寄附の主体がどのような団体であるかを問わず妥当する。

 判決は、「政党など規正法上の政治団体は、政治上の主義若しくは施策の推進、特定の公職の候補者の推薦等のため、金員の寄付を含む広範囲な政治活動をすることが当然に予定された政治団体であり・・・・・・、これらの団体に金員の寄付をすることは、選挙においてどの政党又はその候補者を支持するかに密接につながる問題」であると述べている。

 政党が特定の主義主張に基づいて、特定の施策の実現のために結成された団体であり、政党への寄付も、政党支持と密接な関係を有するとした、南九州税理士会判決の認識は、先に述べた政党政治のあり方からみて原則的かつ正確である。南九州税理士会最高裁判決を前提としてふまえるならば、特定政党への政治資金の寄付が「公的性格」をもつなどといった見解はそもそも成り立たなくなっているのである。

 3 政党助成制度により政治資金の寄附の「公的性格」は失われた

 八幡製鉄事件最高裁判決は、1970年に行われた自由民主党に対する350万円の政治資金の寄附が争われた事件である。最高裁が八幡製鉄事件判決において、「(政党の)健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところ」と述べたのは、日本の政党における政治資金調達のシステムが未発達であり、ともすれば個々の政治家の個人資産や不明朗な「裏金」などに依存せざるをえない状況を克服するためには、会社による政治資金の提供も一定限度で必要とされるとの認識があったと思われる。しかし、会社による政治資金の寄附をめぐる状況は判決当時から大きく変化を遂げており、八幡製鉄事件最高裁判決の先の判示部分を現在の状況にそのまま当てはめることはできない。

 政治資金の寄附の「公的性格」を論ずる上で重要なのは、1994年以降、政党助成法に基づき、一定の要件を満たす政党にはすべて国費による助成が行われるようになったことである。同法1条が述べるように、「政党の政治活動の健全な発達の促進及びその公明と公正の確保を図り、もって民主政治の健全な発展に寄与する」との目的は、政党助成制度によって担われることとなったのであり、現時点で、「政党の健全な発達」のために会社による政治資金の寄附を認める必要性は失われたというべきである。

 

第3 会社、業界の政治献金は政治的意見表明の自由、政治活動の自由と同視することはできない

  1 会社、業界の献金は個人の政治的意見表明の自由と異なる

   控訴人は、控訴理由書と松本良夫陳述書において、株式会社熊谷組による自由民主党への寄附の目的が、当社が自由民主党の経済政策を支持しているからにほかならず、さらには、「相応の寄附」を行うことが訴外会社の「受注機会の維持拡大」につながると公言している。

 個々の国民が、自らの利益を実現してくれる政党の活動を支援することは、憲法の表現の自由の行使として当然に認められる。しかし、先の南九州税理士会事件最高裁判決が述べるように、政党の支援は個人の参政権行使と密接に結びついているものであり、原則として、自然人たる国民のみがなしうるものである。控訴理由書は、訴外会社の株主の思想・信条の自由を一顧だにしていないが、会社の株主となった者は、会社の営業利益の拡大という点では一致しているものの、必ずしも政党支持において経営者の判断と一致しているとはかぎらない。上脇博之教授が指摘するように、「企業献金は結果的に株主を政治的活動、それも党派的活動に財政上『動員』するものであり、したがって明らかに一様ではない株主の政治的活動の自由、ひいては多元的活動の自由を侵害するものである」(上脇博之「議員活動の財政的基盤」ジュリスト1177号121頁)ことを理解するならば、構成員である株主の流動性がある株式会社といえども、特定政党への政治資金の寄附には慎重であるべきである。

 確かに、八幡製鉄事件最高裁判決は、会社の政治活動の自由の一環として、政党への政治資金の寄附が認められるとした。しかし、そもそも八幡製鉄事件最高裁判決が会社による政党への政治資金の寄附を容認したことには、当初から学説の厳しい批判があった。鈴木竹雄教授は、「政治資金の寄附は社会的に要請ないし期待されるところであるというその論調は、政治資金の寄附は積極的にいいことだというようにきこえるが、とんでもない行きすぎである」と述べている(『会社判例百選[第三版]』11頁)。

 そして現在の学説で、この最高裁の立場を支持するものはほとんどない。たとえば、芦部信喜教授は、同判決が会社の政治資金の寄附について「特別の制約を認めなかった」ことについて、「この判決は行きすぎであり妥当ではない」と述べ(芦部信喜『憲法[第三版]』89頁[岩波書店 2002年])、佐藤幸治教授も、「会社の巨大な経済力と影響力に鑑み、憲法上自然人と同一の自由が保障されているとすることには疑問が残る」と述べている(佐藤幸治『憲法[第三版]』427頁[青林書院 1995年])(同旨、野中・中村・高橋・高見『憲法T』219頁[有斐閣 1992年]、初宿正典『憲法2 基本権』164頁[有斐閣 1996年])。また、松井茂記教授は、会社などの団体については、「精神的自由の保護の程度も、政治的活動の自由のような領域では低いとされている。従って、団体による政治献金などは、広く制限することが憲法上許され、むしろこのような政治献金を禁止することが民主主義にかなうという主張さえある」と述べている(松井茂記『日本国憲法』322頁[有斐閣 1999年])。要するに、長谷部恭男教授のいうように、「会社の政治献金の権利を、個人の政治的意見表明の自由と同様に、司法審査によって手厚く保障されるべき権利というのであれば、その妥当性は疑わしい」(長谷部恭男『憲法[第2版]』137頁[新世社 2001年]というのが学界の通説というべきである。

 2 業界の巨額の政治献金は国民主権に基づく政治のあり方を大幅にゆがめ、国民の政治への影響力を著しく低下させる(法人の政治的意見表明と全く異なる)

 控訴理由書は、控訴人が訴外会社の経営者として、自由主義経済体制の維持・発展と我が国経済の回復・発展に資する政策の策定及び実施について、自由民主党が最も実績と能力があるとして、その活動を助成するため、自由民主党に政治資金の寄附を行ったと述べる。そこには、会社や業界が特定政党に巨額の献金をすることによって、国民主権原理がゆがめられ、国民個人の政治への影響力が著しく低下されることへの問題意識がまったく欠如している。

 控訴人個人が自由民主党を支持し、個人の資産を同党の活動の支援のために寄附することは表現の自由の行使として憲法上保障されている。しかし、控訴人は、会社の経営者としての地位を利用し、会社の資産を使って一年間に2800万円を越える寄附を同党のために行った。個人で、年間1000万円を超える政治献金を行う者はまれであろう。控訴人は、株式会社制度とその取締役の地位を利用して、個人では得られないような強い政治的影響力を得たことになる。控訴人らのような会社経営者が、自らの支持する政党に当然のように会社の資産を注入する結果、巨額の資金が会社から政党に流れ込んでいる。会社からの巨額の資金を受け取った政党は、受け取らない政党に比べて選挙その他の政治活動において資金面で有利な地位に立つ。また、政党の側でも会社からの巨額の政治資金を目当てに、特定の業界に有利な政策決定をなすことになる。こうした事態は、主権者である国民の意思に基づいて、国政の方向が定められるべきとする国民主権原理を著しくゆがめ、国民一人一人の政治的影響力を著しく低下させるものである。北野弘久教授は、日本の政治資金をめぐる状況を指して、「憲法政治の実態は『国民主権』ではなくまさしく『企業主権』となっている」と指摘されている(北野弘久「政治資金規制と『政治改革』」『憲法問題3』23頁[1992年])。

 周知のように国家の財政難のなかで、これまでのような大規模な公共事業に次々と着手していくことには国民の批判が強まっている。それにもかかわらず、従来型の公共事業が継続されているのは、政権政党である自由民主党が公共事業重視の政策をとっており、それによって同党は建設業界各社から巨額の政治献金を得ることができるからである。これこそ、日本の政治が、主権者である国民の声ではなく、巨額の献金を行う会社の意向に左右されていることの典型例といえよう。控訴理由書は、自由民主党の政策が「受注産業である建設業界及び同業界に属する訴外会社の経営環境の改善につながる」ことを政治献金の理由として挙げているが、これは結局、会社や業界の政治献金が日本の政治のありようをゆがめるものであることを自ら明らかにしているのである。法人の政治的意見表明の自由と全く異なるものである。

 3 会社、業界の巨額の政治献金は、法人の「政治活動の自由」とも異なる

  (1) 業界で統一した巨額の政治献金は政治腐敗の温床となる。会社や業界による政治献金には、政治腐敗を助長するという問題があることも古くから指摘されている。杉原泰雄教授は、「政治を腐敗させる最大の物質的要因は金銭である。政党や政治家等に対する献金が、原則として見返りを求めているところからすれば、その授受は潜在的な贈収賄としての性格を持っている」と指摘される(杉原泰雄「政治改革三法案の破綻と政治改革の理念」法律時報64巻2号9頁)。政治資金規正法に則った会社の政治献金であっても、全体として公共工事の予算の増大を求めるかごときの対価性が認められると極めて賄賂性の強いものとなるからである。このような政治献金に「対価性」を求める献金は法人の正当な政治活動ではない。

   (2) 法人の政治献金の自由は、政治資金規正法の枠内であれば献金する自由は認められているのかが問題となる。

 しかし、上記の一般論はともかく、本件の場合は業界が統一して巨額の献金をしているのであり、政治資金規正法の枠内の「政治活動の自由」ではない。とりわけ、業界で統一して3億円も5億円もの巨額の献金をすることは法21条の3の立法趣旨に違反するから、個別の法人の「政治活動の自由」の範囲内でもない(後述の第4の3のとおり)。

 

第3 建設業界内の評価(業界内における地位と評価)と本件政治献金の「有用性」とは因果関係がない

 1 原審での主張と矛盾する

  (1)  原審においては、一審被告は、「株主全体の利益の観点から、熊谷組が自由かつ安定的に建設業等を遂行していく上で、社会・経済の安定は不可欠の基盤であり、とりわけ自由主義経済体制の維持・発展はその重要な要素であると考え、そのような政策の策定・実施をになっているのは自民党だと判断して本件政治資金の寄附を行なったものである。」(判決13頁目6行目以下)と主張し、一審被告の証人藤島幸雄(秘書部長)は、自分が政治献金についての実務責任者の立場であって、本件献金の経緯について承知しているとの前提で、「本件献金の目的は、自民党の政策立案、政策普及のための情報収集、党組織拡大のための広報活動に利用してもらい、ひいては自由主義経済体制の発展を願って、例年、反復継続して行なっていたものであり、何ら個別の業務について便宜を図って貰おうとの目的はありません。」と一貫して述べた(藤島陳述書、乙6号証)。すなわち、一審被告は、本件献金を正当化するための理由としては「自由主義経済体制の維持・発展」という金科玉条しか思いつくことができず、それを正直に述べて主張したものであろう。

    ところが、その金科玉条がもはや通用しないと知るや、一審被告は突如として新たな主張を行なった。すなわち、「業界における訴外会社の信用と地位を維持することに寄与し、もって訴外会社の受注機会の拡大にとって長期的な有用性があり、逆に寄附をしなければ、訴外会社の信用低下につながり、受注競争において不利益に働くおそれがあると考えた」と言い出した。本件政治献金にこのような「有用性」があるならば、原審においても当然に主張できたはずである。何故なら、過去の献金目的が後になって「変わった」ということはあり得ないからである。

     このような主張は、およそ事実とかけ離れた、後で取って付けた「有用性」であって、反論する価値も無いものである上に、その主張自体も不合理で、正当性を有し得ない。

   (2) 本件献金の実務責任者であった藤島証人は、献金と受注とは何の関係もない旨の証言を明確に行なった。そして、一審被告は、藤島証人の証言と同様の主張を一貫して行なってきた。にもかかわらず、控訴審になって主張を変遷させる理由は何か。藤島証人が偽証したということか。原審における主張を否認するような主張を新たに行なう以上、一審被告には、主張を変遷させた理由を明確にする責任がある。事実はこうである。

     一審被告が自民党からの献金要請を拒絶すれば、訴外会社への公共工事の発注を自民党が妨害し、献金要請を受け入れれば発注を促進させるのである。このような関係は、これまでの無数の汚職事件が証明している。しかし、このような事実は、一審被告は表立って主張することができない。こんな主張をすれば、自らが贈賄を行ない続けていることが白日の下に曝されるからである。そこで、原審では、仕方なく、「自由主義経済体制の維持・発展」という金科玉条だけを振り回したものである。しかし、このような金科玉条は、自由主義経済体制が確立した現在では通用しない。一審被告は、原判決を見てようやくこのことに気づいた。そこで、今度は、「日建連内での地位」というマジックワードを使うことによって、自らの「贈賄行為」を適法化しようとしだしたわけである。

 一審被告のこのような新主張は、事実を覆い隠すためだけに、あと知恵的に考え出された虚偽の主張であるから、決して採用されてはならないものである。

 2 業界で統一して献金することとJV工事の受注、なかでもJVの代表者への就任との間には因果関係がない

   一審被告は、JVの代表者の地位に就くためには、業界共通の利益のために会社の経営規模に応じた相応の責任と負担を果たしていることが特に重要であり、そのためにも本件政治献金をなす理由があるとしている。

 JVにおける代表者制度が設けられた目的は次の点にある。即ち共同企業体は法人格を持たず、その権利義務は原則として全構成員に帰属することになるため、対外的な法律行為もまた原則は全構成員の連名で行なうことになる(民法上の組合の一種である)。しかし、対内的、対外的な業務を構成員全員によって行なうとしたのでは実務上支障が多く、その円滑な運用を阻害することになるため共同企業体協定書で代表者制度を設け、対内的、対外的業務の一部についてJVを代表する権限を付与しているものである。

   建設省(現国土交通省)が昭和37年に通達で示した共同企業体標準協定書では、「当企業体の代表者は建設工事の施工に関し、当企業体を代表して、発注者及ぴ監督官庁等と折衝する権限並びに自己の名義をもって請負代金(前払金及び部分払金を含む。)の請求、受領及び当企業体に属する財産を管理する権限を有するものとする。」と定めている。

   一審被告は代表者(スポンサー)の権限を、JV内の主要人事の決定、資材の業者選定、発注、下請業者の選定、原価管理等全般に及ぶかのように述べているが、その権限は前記の限りにとどまるものである。それ以上に広い権限を及ぶとするのは、JV内部における事実上の構成員たる企業間の支配従属という悪弊によるものである。

   つぎにJVの代表者の選任基準について検討してみよう。JVには特定の建設工事の施工を目的として工事毎に結成される共同企業体(特定JV)と、中小業者が継続的な協業関係を確保し、その経営力、施工力を強化する目的で結成する共同企業体(経常JV)とがあるが、大企業として大規模工事を中心に受注している訴外会社においては特定JVが主に間題となる。特定JVの代表者(スポンサー)にはその責任にふさわしい施工能力を有する者である必要がある。中央建設業審議会建議による共同企業体準則によれば、代表者は施工能力の大きいものがなるべきとしている。

   また公共発注機関は、昭和25年中央建設業審議会決定「建設工事の入札制度の合理化対策について」に基づき、入札参加を希望する建設業者を、信用、技術、施行能力等、公共工事の適正な施工を行ないうる能力の判断基準となる事項(経営事項審査項目)に関する審査結果に基づき、工事種類ごとに数等級に格付けを行なっている。

   これらからして、施工能力に基づく代表者の選定にあたっては、等級の異なる者の間では上位等級の者、同一等級の者の間では実質的な判断に基づき、より大きな施工能力を有すると認められる者が選定されることになっているのである。

   一審被告の主張するように、JVの代表者(スポンサー)がこれら施工能力を基準にすることなく、業界即ち日建連内において相応の責任と負担を果たしているかが重視されたとしたら、公共・民間大規模工事のJVの構成に歪みが生じ、施工能力が低い者でも業界内で政治献金の負担を積極的に行なっている者が代表者になり得るということになろう。

   仮に日建連内部で政治献金を含んだ業界共通の利益のために責任と負担を果たしていることが代表者(スポンサー)の地位に就くにつき特に重要であるとの実態があるとするなら、そのような悪弊を改善、是正することこそがその構成員である訴外会社の責務と言えよう。ましてやそのような業界内の悪弊があることをもって本件政治献金の理由とすることはできないこと言うまでもない。 その点で、本件政治献金とJVの受注やそのスポンサーになることとは、法的評価することのできる因果関係は無いのである。

  3 一審被告が新主張として述べるところは、結局は、自民党からの献金要請に応じれば業界団体である日建連内での地位が上がり、断れば地位が下がる、そして、その地位の上下によって受注競争が決まるということである

 この主張には次の問題点がある。

 第1は、自民党からの献金要請に応じるか否かによって日建連内での地位が上下するのかという事実の問題、第2は、そのような団体における地位の上下によって受注競争が決まるのかという事実の問題、そして第3は、自民党に対する献金額の多寡によって地位の上下が決まるような団体に属することが訴外会社の利益に適うのかという価値判断の問題である。

 まず、第1、2については、その事実(因果関係)を主張する一審被告に立証責任がある。従って、一審被告がその立証に成功しない以上は、この事実が無いものとして扱われることになる。そして、それらの事実が立証された場合には第3の問題がクローズアップされることになる。

 本来、工事の受注競争は、建設会社がもつ技術力と工事実績によって決せられなければならない。公共工事においては特にそうである。そうでなければ、建設工事の技術力を磨く努力が行なわれなくなり、欠陥建設物だらけになってしまうからである。従って、自民党に対する献金の多寡で地位の上下が決まるような日建連という団体に属することは社会正義に反することであって、長期的に見れば訴外会社の利益に反することが明確である。

 一審被告が主張していることは、結局は、自民党に献金しないと仕事がやりにくくなるとの主張であり、これは、総会屋にカネを支払わなければ総会が開けないと言うかつての総務担当者や、暴力団にみかじめ料を支払わなければ安心して営業できないと言うのと同様の主張であって、社会的には決して容認できないものであり、結局のところ、政治献金と業界の地位、利益、不利益との間には因果関係がない。

 

第4 政治献金の裁量性

  1 政治献金は通常の業務執行ではない

    第1審被告は、「政治献金の寄附は通常の業務執行上の判断と同じ経営判断の一つであり、・・・・」と反論している。

     しかし、政治献金は通常の業務執行上の判断と同じという主張は誤りである。営利を追求する法人の通常の業務執行の場合、「どれだけの金を支出すればどれだけの利益が生じるか」という予測のもとに経営判断をなすものである。しかし、政治献金の場合、その金を寄附すればどれだけの利益が生じるかという「対価性」はそもそも予定してはならないものである。政治献金は「無償性」が基本であり、「対価性」はあってはならないのである。その点で通常の業務執行ではない。

  2 業界の統一した献金は業界の要求を実現するという「対価性」を求めるものであるから、裁量性は全くない

    この詳しい主張は準備書面(1)で述べたとおりである。政党、政治家への寄附に会社の営利性という対価性を求めれば、政党や政治家を金で買収することになり、賄賂性を帯びる。仮に、刑法上の賄賂にならなくとも政党の政策を金で買収するとなれば、それは民主主義の原点である国民(自然人)が選挙によって政党、政治家を選び、その選ばれた政党、政治家は国民のために政策決定をするということと矛盾する。だからこそ今までの企業は、献金をなすにあたり、民主主義を守る等や市場経済を守る等と主張してきたのである。この主張は、企業が個別企業や業界の利益を政党、政治家に得させるために献金するということは金で政党、政治家を買収すること、と思われてきたということに他ならない。このような政治献金は中止すべきであり、裁量性はない。

  従って、政治献金を「通常の業務執行」と同一と論じる主張は、政治献金の持つ上記の本質を意図的に無視している考えであり、正しくない。

 3 業界で統一した巨額の献金は、政治資金規正法21条の3(寄附の総額の制限)ならびに同22条の2(受領違反)の趣旨に違反する

   政治資金規正法の条文上、1億円以上の献金が禁止されているのは一企業単位であるが、仮に業界が意思統一をなしてその加盟企業が特定の政党に献金するとなると、個別企業単位で見れば同法違反とはならないものの、業界単位で献金すれば1億円以上が自由に許されることとなり、同法の1億円以上を禁止した立法趣旨が没却されることになる。

   その点から見ても、業界で統一した1億円以上の献金を目的として個々の企業が献金することは、法令に直接違反しなくともその立法の趣旨に違反するのであるから、1億円以上の献金を業界内で各社が分担して献金する場合に各社の分担金が1億円以下であっても、一切の裁量性がない。

 

第5 会社の欠損時の献金について

      この点については、本日付文書提出命令申立の対象の文書を見て、詳細に主張する予定である。


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